NPO法人ニュースタート事務局関西

VOICE

自分で自分が何であるかを決めた頃 - 8

 居酒屋に出入りするようになったと言っても,それほどお金にゆとりがあるわけでもなく大酒を飲んだわけではありません.私が本当に酒に親しむようになるのはもっと後のことでした.その頃はせいぜい,ビール一本を飲みながら『学生運動談義』に花を咲かせる程度のたわいない酒でした.
  その当時の学生新聞は基本的には学生運動の随伴者の立場に立ちながら,左翼学生運動諸党派とは距離を置き,是々非々の立場を取っていました.大学一年の私たちは基本的な革命精神のようなものは共有していましたが,学生運動の幹部やその下働きをしているような党派官僚的な活動家には反発を感じていました.そんなこんなが5月末から6月に掛けての私の日常でした.

 7月に入って,私は精神に軽い異常を感じるようになりました.その当時はまだ私は釜が崎の『実家』から通学しており,土・日は大阪市内で4件の家庭教師をやっていました.そのうちの一件は,O高校の3年生女子が相手でした.O高校というのは,前々回にも触れたように大阪市内有数の進学校で,しかも彼女は慶応大学医学部志望だったので,彼女が解きあぐねた物理の問題と言うのは,私に取っても簡単に解いて見せるほど易しい問題ではありませんでした.大学の一年生に難しい入試問題が解けなくても,別に不思議なことではなかったのですが,私にはそれが迷路の入り口でした.私の未熟なプライドが『この問題は僕には解けない』ということを許しませでした.

 引きこもりの若者が陥る迷路も,そんな他愛もないことが,充分にきっかけになります.親たちは何か重大な抑圧や心に受けた傷が原因ではないかと探しますが,原因など見つかりません.私の場合には物理の難解な問題ひとつとの遭遇でした.

 彼女には一歳年上の女子大生の姉がいて,二人とも良く似ていて,しかも二人とも美人でした.私には二人の区別がつかなくなり,やがて私は軽いノイローゼ(神経症)状態になりました.冷静さを取り戻すには当時の私はあまりにも多忙でした.週6回の家庭教師に追われている間に,またそのO高3年の女性の自宅を訪問しなければならない日がやってきます.私はますます混乱し,やがて妄想・妄念の類が私の神経を支配するようになります.

 しかし,つい二ヶ月ほど前に私は『5月病』から脱出したように,自ら『健全性』を取り戻す復元力のようなものを備えていました.その辺りは,人間体験や社会体験の不足から,自分の心の迷いに対する対処法がわからず深みに落ちていく今の若者たちの引きこもりに比べて,小学生の年代に既に中年男のような狡猾さを身につけていた私の体験がものを言ったのでしょう.

 夏休みに入り,講義がなくなるとともに私はすべての家庭教師先に断って,家庭教師中断の許しを得ました.そして,福井県の若狭湾のある海水浴場のホテルで住みこみのアルバイトに出かけました.その海水浴場で過ごした一ヶ月と少しは,波乱万丈の珍事件の続出でした.そのことも残念ながら省略せざるを得ませんが,その1ヶ月余の馬鹿馬鹿しい体験がすっかり私を元気に逞しくしてしまいました.ノイローゼも妄想も吹っ飛んでいました.

 それから3年,これもまた当たり前の大学生の生活が過ぎていきました.大学3年のときには学生新聞社の『主幹』という,いわば部長職を一年間担当しました.講義に出ることはかなり犠牲にせざるを得なかったのですが,別に卒業を放棄したわけではなく,法学部における必須単位であるゼミナールも受講し,単位を取得していました.もちろん,この間に卒業後の自分の進路についてはかなり悩みました.

 しかし,結局4回生の夏に,他の学生よりは少し遅い目でしたが,外資系の石油会社の就職面接を受け,すぐに『内定』の通知を受け取ることになります.このまま進めば,私も『非凡』な子ども時代を経て,平凡な中学・高校・大学時代から平凡なサラリーマン生活に入る予定でした.

 夏休みも過ぎて,大学生活4年目の秋,京都大学の百万遍交差点近くの名曲喫茶でコーヒーを飲んでいた私はある事件を知り,のっぴきならない選択を迫られることになります.
2002.9.20
にしじま あきら