NPO法人ニュースタート事務局関西

書籍案内・書評

『モモ』ミヒャエル・エンデ作 岩波書店

「大勢のモモたち」

 私は以前に「『モモ』を読む」を書いたとき,物語に出てくる致死的退屈症が社会的ひきこもりのことを指している,と考えてはいました.しかし,今考えてみると,エンデはこの致死的退屈症で灰色の男とそっくりになってしまった人間たちのことを指していたんですね.そうだとすると,ひきこもっているのは世間一般の人だ,ということになります.

 そうです.『モモ』は,灰色の男と契約した時間貯蓄家たち,つまりは世間一般の人たちがひきこもってしまっている,と告発したのですね.そして,その人たちが何故ひきこもりなのかについて明らかにしているのですね.

 床屋のフージー氏のケースを思い出してください.フージー氏は灰色の男の,時間を節約して貯蓄しようという提案を信じ,そのように自分の仕事を進めようとしたとたん,従来の,楽しくて多彩だった生活は,まるでカラーからモノクロへと転換したかのように,灰色の生活になってしまったのでした.文字通りフージー氏は時間ドロボーである灰色の男のとりことなってしまい,時間の節約という行為のうちにひきこもってしまったのですね.

 このエンデの提起は,今日の社会的ひきこもりが何であるかを理解しようとするとき,まるでコペルニクス的転換とでも言う他はない反転を生み出さないでしょうか.

 そうです.今日の日本で社会的ひきこもりは,会社や国に忠誠をちかい,お金の命令のうちにひきこもっている世間一般の人たちの方なのですね.そして,このマジョリティが,自分らに違和感を覚えたり,別のライフスタイルを目指す人たちを「ひきこもり」と言っているのですね.

 ところが,ひきこもりと言われている人たちには,お金はないし,地位はもちろん,名誉もありません.自分は何のためにこの世に生を受けたのか,という問いに答えを見出せず,もう一つの社会を形成できずに悩み苦しんでいるのですね.

 物語にあるように,モモが灰色の男たちをやっつけてしまっていたら,いま「ひきこもり」と言われている人たちも居なかったでしょう.
  ところが,現実にはモモは敗北し,現在では,人間の時間は,それを管理していたマイスター・ホラから灰色の男たちの手に移ってしまっていたのですね.今日では,企業にしても,灰色の男達から時間(つまりお金)を借りなければ,事業もできなくなってしまっています.

 ここまで事態が進んでしまったことで,逆に,解決方法がすっきり見えてきているような気がしませんか.

 物語では,モモはたった一人で灰色の男たちと闘わねばなりませんでした.しかし,今日では,世間一般の人たちのひきこもりがますます昂じてしまったことで,大ぜいのモモが生み出されているのですね.大ぜいのモモたちはどのようにして手を繋ぐのでしょうか.

 けれども,これは別の物語,いつかまた別のときに話すとしよう.
 
(2001.5.26)
榎原均(元祖ひきこもり)  サポーター会議サポーター会員