NPO法人ニュースタート事務局関西

不登校・ひきこもり・ニートの若者の再出発をサポートするNPOです

 

 

更新履歴

定例会(不登校・ひきこもり・ニートを考える会)

定例会11月 19日(土) 14時から (第156回定例会)
場所: 高槻市総合市民交流センター
参加希望の方は事務局までお申し込み下さい。 詳細
※参加者は中部から西日本全域に渡ります。遠方の方もご遠慮なく

鍋の会

鍋の会第266回  11月  13日(日)
第267回  11月  27日(日)
第268回  12月  11日(日)

参加希望の方は事務局までお申し込み下さい。詳細はこちら

窯の会

毎月第3日曜日14時〜カフェ・コモンズにおいて『窯の会』を行なっております。
詳細はこちらまで。参加申込みなどはお電話ではなくスタッフに直接お聞きください

その他

新代表からのご挨拶

十年
ニュースタート事務局関西代表 高橋 淳敏

さかのぼること10年前、2000年の暮れ、もうすぐ21世紀という頃、過去の20世紀と決別し、新しい時代が来るとそれぞれに思い描く未来があったはずだ。特に、日本は1990年くらいから失われた10年といわれ、次に来る新しい世紀の風にものって経済は次第に潤ってくるであろうと、自然に回復もしてくるだろうと20世紀的価値観で都合のいいところを見て、21世紀を楽観していた。それまでに10年も失われていたのにも関わらず、あるいは失われたからそれを取り戻そうとしてか、日本は他の国に比べてもまだ上で、今までのやり方でもやれる、取り戻せると、莫大な借金もして立て直そうとしていた。仕組みを変えようとはしなかった、だから現状は就職氷河期でもあった。その上、大企業に有利な規制緩和がされた。要するに、若者はまともな(に)雇用はされず、新しいことは実質的にはやりにくいようにされ、日本経済を取り戻そうとがんばったのはそれまでもがんばってきていたおやじたちが、今までも続いてきた体制の中で同じような努力を重ねようとしただけであった。例えるならば、2000年あたりの就職は、「新しい世紀になったし規制も緩和された、この10年はいまいちだったが反省している暇はない、今までよりも自由に商売も雇用もできる。今までの経験もバブルの反省もある。21世紀という新しい波にのって日本も俺たちも、まだまだ元気にやれる。といって会社にとっては何よりも俺たちが大事なのだから経営も苦しい中、日本の若者の多くを雇えるわけではない、俺たちのやり方に従えるものだけは見てはやるからついてこい」ってなものだった。何も先人たちを批判したいのではない。多くのおやじたちは雇われて働いていたのだ。仕事をやめるタイミングもなく、生活レベルを落とすわけにもいかず、結果としてひきこもる子どもを、今でも働きながら経済的に養っておられる方も多い。ただ、家庭では子どもに働いて欲しいとハッパをかけながら、社会での受け皿はなんと小さかったことか。これでは、ひきこもったりニートと言われる状態になる人が多く現れるのは当然のことではないか。その現状をまずは理解して欲しかった。それを当時はまだ理解に乏しく、「自己責任」というような言葉で当人たちだけの問題としている風潮がほぼ主流であった。ニュースタート事務局関西はその流れに抗うようにして、そのころにひきこもり支援活動をはじめたといえる。

当時もそうであったが、今の若い人は若い人同士でもコミュニケーションが苦手だという人が多い。親たちは、子どもとコミュニケーションがとれないと悩んでおられる方が多い。上にあげたような2000年の社会状況と個人間であるコミュニケーションの問題はあまり関係ないと思われる人が多いだろうが、非常に関係が深いと考えている。ゲームやインターネットのせいにするなんかより、もっとコミュニケーションにおいて本質的な問題が潜んでいる。比較するならば、親の世代ともいえる団塊の世代あたりが就職していった時代、学生運動などで社会に反抗したのにも関わらず、金の卵といわれ仕事はあふれていた。要するに、社会がなんであれ若さを必要としていた。もちろん努力はしなければならなかったとも思うが、新しいこともやりやすかっただろう。家は貧乏でもあったのだろうが、そんな貧乏な家にいるよりは、外に出て働けば少しでも豊かになったし、親を物質的に経済的に追い越すのは容易かったので、社会での自己肯定感みたいなものもあまり考えずとも満たされているようなところはあっただろう。失敗もしやすかったかもしれない。この頃の若者が、今と比べて優れていたなんて事は考えにくい。この頃の若者が努力して金の卵になったのではなくて、金の卵が産める鳥であれ、社会・経済状況があったにすぎない。若さというのは、たぶんどんな社会であっても、その規範を壊すような力も持ち合わせているだろうし、厄介なものだと思う。

そのころの親と子もそれほどコミュニケーションがとれていたわけではない。ただ、外の社会が金のためであれ、なんであれ必要とはしてくれた。求められたり、必要とされるというのは、反発するにしてもコミュニケーションにおいては、一番核になるところである。逆に考えれば、それが失われているのに、コミュニケーションの問題だけを問題にしてもなんの解決にもならない。目先の合理性や、守りのことばかり考えていては、家庭も社会も経済もただゆっくりと悪くなっていく一方である。少し辛らつな言い方をすれば、ゲームやインターネットなどで便利になったのは、めんどうな若さを飼いならすことができるようになった親でもなかったか?そうでないと言い切れるのならば、そのゲームやパソコンを親が買い与えたものであるのならば、取り上げていいと思う。

2000年から10年たって現在。失われた20年という人もいて、状況は変わっていないどころかより深刻になりつつある。上に書いたように、経済状況とコミュニケーションというのはどっかでつながっていると人は思うからこそ、また経済が上向いてきたら、コミュニケーションの問題も改善されると思うのも分からないではないが、残念ながら歴史的にみても、世界を相手にした高度経済成長というのがいろんな条件が重なり異常だったのであって、日本人がほかの国の人に比べてとりわけ優れているわけはなく、好景気は順番に巡ってくるぐらいで、もうこないと思っている方がいいのだと考える。結果的にではあるが、バブルに象徴されるような時代がおかしかったのであって、失われたといわれている今が失われているのではなくて日常なのであると。大卒の就職内定率は50%位だそうだ。若い人は望みの薄い企業に対して就職活動している暇があったら、1000兆円にもなりそうな借金を100年かかろうとも次次世代に引きつがなくてはならなくとも、こつこつと返していくような計画で、あと少しもしたら65歳以上が50パーセントを超えるような高齢化社会を工夫もして楽しくも生ききることを、まじめに考えていかなくてはならない。

私は、ちょうどこの10年間ニュースタート事務局関西に関わってきて、各方面からもいろいろと勉強させてもらいました。その間代表をされていた西嶋彰さんが、先日代表を退任されるということで、それを引き受けまして新しく代表になりました。ひきこもりや、ニートといわれる若い人たちと、一緒になって、その日常を引き受けていきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。

旧サイトのトップページより

一人一人の若者を理解しようとしても難しい、
移りゆく季節をとめてプレパラートに切り取り、
顕微鏡でのぞくようなもので、
何も見えて来はしない。

向かい合い、励まし、叱り付け、問い詰めても、
若い蕾は固く実を閉ざしている。

季節の移ろいの中で、
樹々の群れを眺めれば、
枝を張り、葉を茂らせ、
風にそよいでいるさまが見えてくる。

私たちは、親と子の閉ざされた関係を超えて、
家族を開き、助け合いと理解の輪を、
広げていきたいと考えています。

メッセージ

ここへおいでよ 若者たちの声が聞こえるよ
ここへおいでよ 若者たちの姿が見えるよ

大声で叫ばなくても あなたの声は聞こえるよ
大げさにこぶしを振るわなくても あなたの姿は見えるよ

若者たちは何もいわない 何も動かないと あなたは言うけれど
そんなに動き回っていて 若者たちの姿は見えるの
そんなに大声で叫んでいて 若者たちの悲鳴は聞こえるの

耳を澄ませば聞こえてくる若者たちの心の声が
目を細めれば見えてくる若者たちの明日への胎動